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説明: Macintosh HDAir:Users:ayu:Desktop:prof31.kurasawa.jpgご挨拶

 

人体科学会 会長

倉澤 幸久

(桜美林大学芸術文化学群)

 

 

 

 

 この度、鮎澤 聡会長の後を受けて、人体科学会会長に選任され、201643 年間会長を務めることになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 私は大阪大学大学院博士後期課程で湯浅泰雄先生の学生になりご指導を受け、その後、19894月湯浅先生が筑波大学定年と同時に桜美林大学国際学部創設の教授になられた時、助教授として勤めさせていただくことになりました。その年の11月、湯浅先生の著書『身体―東洋的身心論の試み』(創文社、1977)を理論的支柱として人体科学会が設立され、私は湯浅先生のご縁で参加することになりました。しかし、最初の頃は、私は日本倫理思想研究の分野で、鎌倉時代によく用いられた「道理」という語を手がかりに道元禅師の思想を捉えようと努めており、体験に基づく「知」を探求するという問題意識を持っていましたが、知的理解という観念的な方法に立つ自身を省みて、人体科学会のそうそうたる実践家の方々を少し離れて見守っていました。それが変わったのは、200412月第14回年次大会を私が大会会長となり桜美林大学で開いたことによってでした。大会の企画を立て、多くの会員のご協力をいただいてどうにか大会を行うことを通して、ようやく学会の仲間入りができたような気がしました。この大会の翌年、黒木幹夫会長で開かれた愛媛大学での年次大会の直前、湯浅先生が亡くなられました。それから、湯浅先生から受けたご恩を思い、湯浅先生が中心になって作られた人体科学会のために私のできることをしなければならないと思うようになり、夏の合宿では湯浅先生の著書の読書会を続けてきました。

 

 さて、「人体科学」という言葉は今なお日本語としてはなじみがない言葉です。人体科学会の英語表記はSociety for Mind-Body Scienceであり、心身科学の学会ということになりますが、人体科学会という名称は1989年設立当時盛んになっていた中国の人体科学を受容し、中国人体科学学会との交流を目指して設立されたことに因みます。気功がブームとなった時代でした。その後法輪功の問題が起こり、中国の人体科学研究は低迷していますが、今後の発展を期待したいと思います。(王滬生著、定方昭夫訳「時に過去を振り返り、未来を創造する―中国人体科学の発展過程」『人体科学』211号、2012参照)

 

 さらに人体科学会の前史をたどると、198411月湯浅先生が企画委員長となり筑波大学で開催された「日仏協力筑波国際シンポジウム・科学技術と精神世界―東洋と西洋の対話」に遡ります。これはニューサイエンスを日本に紹介する意味がありましたが、そもそもニューサイエンスが近代科学の行き詰まりを越えるために東洋思想を求める動きがあり、東洋との対話を求めたことに起因します。日本側からは「気」のテーマが提示され、新体道の青木宏之氏の遠当ての演武がフランス側に衝撃を与えました。ニューサイエンスは、1960年代に始まるニューエイジ運動と呼ばれる新しい時代の新しい生き方を求める革新運動の一環ですが、その理論的中心をなすK.プリブラムのホログラフィ的世界観、D.ボームの暗在系理論はC.G.ユングに淵源すると湯浅先生は説いています。(『湯浅泰雄全集第17巻ニューサイエンス論』BNP2012、巻末の拙解説参照)

 

 昨年私は改めて湯浅先生の『身体論』を再検討する機会を与えられ、その直接的な拠り所が西田幾多郎(1870-1945)とユング(1875-1961)であることを再確認しました。西田もユングも広い意味の「生の哲学」の問題意識を共有していると思われます。それは中世から古代へと遡り神話的思考にまで達し、時空を越えた生命的な根源を見出しました。私は、改めて、人体科学とは何かを以下のように考えてみました。

 

 人体科学とは、「人間の身体」に焦点を当てて、「人体」の不思議な働きを明らかにし、人間の存在とはいかなるものか、世界の存在とはいかなるものかを明らかにし、人がよりよく生きることに資する研究をおこないます。ここで言う「身体」「人体」は、心・精神と対立するそれではなく、人間存在の基盤をなす心身未分の「身体」です。西田幾多郎の言う「身体的生命」「身体的自己」であり、人間の感覚器官と理性は、この基盤である「身体」の両端です。客観的物質的世界と主観的意識的世界はいずれもこの具体的な「身体」の抽象化された世界として定立されます。この「身体」は「無限に深い創造的なるもの(歴史的生命)」の創造的作業的要素として働いています。人が生きていることは、日々の日常生活の営みも宗教的な証悟体験も、この「身体」が行為しつつ直観し、直観しつつ行為することとしてあります。我々は今ここにこの身体をもって生きています。この身体からすべてを考えていきます。ここに人体科学の存立基盤があります。(拙論「湯浅泰雄の『身体論』を巡って」『身体の知』BNP2015、参照)

 

 人体科学会はとてもユニークな学会です。それぞれ専門分化した学問分野ごとに学会がありますが、人体科学会はあらゆる学問分野が集っている学会です。哲学・倫理学、宗教学、芸術学、文学、言語学、歴史学、政治学、経済学、社会学、教育学、体育学、心理学・認知科学、医学、看護学、生物学、物理学、工学、化学などの研究者が参加しています。人体科学会ではあらゆる学問分野の方と出会える、とてもおもしろい学会です。

 

 さらに、実践家の方々が大勢参加されています。中国医学や漢方などの伝統的医学、鍼灸、指圧、操体、ホメオパシー、さまざまなセラピーの技を実践的に深めておられる方々、古武道、太極拳、気功、新道、芸術の道などの修行を積み重ねておられる方々、坐禅、静坐、ヨーガ、さまざまな瞑想をおこなっておられる方々、いずれも実践的な智慧を求めて体験を重ね、体験に基づいた智慧の言葉を伝えてくださっています。西田幾多郎の生前発表された最後の論文「場所的論理と宗教的世界観」に、「宗教は心霊上の事実である。哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない。哲学者はこの心霊上の事実を説明せなければならない」という言葉があります。実践家の方々が体験によって得られた技、智慧は、西田の言う「心霊上の事実」としてあると思います。それを哲学的に説明する、また科学的に説明することを、人体科学会は試みていると言ってよいでしょう。

 

 道元禅師の『正法眼蔵』「身心学道」巻で、身学道について、「尽十方界真実人体」「生死去来真実人体」という中国の禅の祖師の言葉が説かれます。あらゆる方向に世界を尽くして広がる世界を究め尽くす、すなわち人体(人の身体)が、一見自他の別に限定されているかのようだが、尽十方界であると諦観する。生死は、凡夫にとっては流転の生死であるが、その生死を究め尽くす、すると生は生で絶対、死は死で絶対、すべては真実人体である。気の遠くなるような長い時間を学道し続けている、今の汝、今の我、尽十方界真実人体である人である。これらを踏み違えることなく学道するのである、と説かれています。

 

 誰もが真実人体の人である、学道しなさい。ここから「人体科学」が始まります。

 

 

(「人体科学」第25巻第1号 巻頭言より)

 

 

  

 


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